エメラルドエミランド

エミさんえみさんが他界した。

いつかはみんな遠くに旅立つ時がくる。

病気のこともあったから覚悟はあったものの

病気がえみさんの悪態つき&タフさに負けてどっか飛んで行ってしまうに決まってる

なんて思ってた。

えみさんとの出会いはSunset のダンスでクラジャマに行ってた90年代後半。

よくよく顔は見てた派手なおねーさんがた集団。初めてしゃべった時のことは今でも覚えている。

ダンスが終わってから、よくある、店の前でただだらだらしてた ”そこ” にいる人「全員で写真撮ろうよ」ってえみさんが言った。

その一言で私もその派手なおねーさんたちの中に写ることになった。

そして次の週に会ったらえみさんが封筒に入ってる焼き増ししてくれた写真をくれた。

しゃべったのに私の名前は忘れられてて 封筒にはえみさんらしく  

”TO ケンジ ギャル”

と当時の私の旦那の名前が入ってた。

それが出会い。

おっかなく見えながらも心の優しい、情に熱い、そして乙女な部分もあったり、好きなものは好き、嫌いなものは嫌いとはっきり言える時間にとらわれない(悪く言うと時間にゆるい)酒とたばこの人だった。

それから、ビッグダンスの時はみんなでドレスをえみさんに作ってもらって、えみさんの家で準備してダンスに行く、自然と”エメラルドエミランドクルー”となり、数々のダンスに行った。それも関東だけじゃない。大阪までエミランドクルーで修学旅行だし、ダンスでなくてもノリで富士サファリパークにライオンの赤ちゃんだっこしにいったり、キャンプだったりとたくさんのかけがえのない時間を過ごした。

えみさんの作るものは素晴らしかったかし、当時マネージャーをやってた私は、仲良い友達と仕事がしたかった。
そんなとき私の担当してたサトエリが初レギュラー番組をもった。
テレビ東京の”Beat Bang”という当時ジャパニーズヒップホップやレゲエなんかもテレビであつかう、You the Rockと司会をやってた番組で早速毎週衣装を作ってもらうことにした。

サトエリは胸も背もでかいけどウェストは細い。
そこでえみさんのオーダーメード衣装はデビューしたての、もさいタレントを華やかに映し、タレントなりたて高校生でお金も服もないけど、番組終了後は衣装は私物になるからサトエリは私服としてもえみさんの服をいつも着てたのだ。

私が独立して他の事務所の子もプロデュースするようになってからインリンを紹介した。
二人で楽しく仕事をしてたし、えみさんはますますクリエイティブに芸能界でも活躍していったのを見てて嬉しかった。

何よりも、私が初めてジャマイカに行ったのはえみさんとだ。
2002年、中米を旅してた私とえみさんの休暇を合わせてジャマイカで待ち合わせて1ヶ月一緒に過ごした。

私のジャマイカ熱はそこから始まったのだ。

ジャマイカにはまりまくった私。芸能界の仕事やダンサーの衣装など常に大忙しだったえみさん。

会う時間も減ったものの、私の作ってるフリーマガジン”FREAMAGA”の周年は「ドレスコードがあるから楽しい」って毎回来てくれた。えみさんもVol 16”ダンス”特集では紙面を作ってくれた。

癌の話を聞いてもいつもあっけらかんと明るかった。

去年私の企画したJesse Royalの日本ツアーのファイナルが日比谷のSoul Rebelで、このショーは昔えみさんがファッションショーをするとなって大雨で流れたことも思い出に残る特別なショー。

わざわざ静岡から会いにホテルまで来てくれてそのままみんなで会場入りした。

もう、ものを食べることはできない体になってて、おなかについてる蓋を開けてそこから栄養を注入してたけど、あいかわらずのたばことビールを飲むえみさんにジェシーもくらってたし、私はえみさんの好きなことしなとしかいう必要もなかった。

会場ではMighty Crownのプレイを見ながら「泣かせてくれんじゃん」って二人で隅でうるんでた。
そのあとえみさんとホテルの私の部屋で延々と語った。

「こんな未来になるとぜんぜん思わなかったね。まさかまいちゃんがジャマイカに住んで、こうしてやってるってことを友達としてすごく誇りに思う」

なんていうから涙も堪えるのが大変だった。こんなきっかけをくれたのもえみさんだ。

「またジャマイカに行きたい」
と言った。
1日2回 おなかに栄養を入れないといけないからそれを日本で買って、もってくのには鞄が重すぎて持てないと言った。

その日にイタイイタイと言ってた左腕、がん細胞が骨にも移転してたから、転んだからとかぶつけたからとかじゃなく何にもしてなくてポキってなって激痛が走り、病院に行ったら折れてたそうだ。

「死ぬのが怖い」
とも言った。

抗ガン剤がよくないものだと伝えたいし、今のうちに何か残したいと言った。

こんだけきつい状況だったけど、回復しまくって奇跡がおこったっていう本にしたいねとその時はビールを飲みながら笑って部屋で語った。

最後にあったのは今年の4月末。はるばる私が帰ってきてるからってことで表参道まで来てくれた。
集まったのはいつものエミランドクルー。

抗ガン剤が新しく変わったらしく体調がめちゃめちゃ悪くなってしまって自分がなんだかわからなくなったり、立ってるのか横になってるのかもわからなく言葉も出ない日があったそうだが、はるばる東京に来てくれた。

外苑前のカレー屋にいつものように遅刻してきたえみさんは、体調が良さそうで、驚くことにものを食べれるようになっててただただ嬉しい限りだし、もう峠は越えたような気にもなった。

外苑前から表参道の道を歩きながらチョコレート屋に立ち寄ってチョコを食べたり、「ちょっと疲れた」というのでまたみんなで肌寒い空の下、ホットワインやコーヒーを飲んでただただ楽しい時間を過ごした。

FBのえみさんの書いた最後の投稿がこの日のことだ。

”オカマイ、一時帰国につき集合!!
おいしくって、楽しいひととき。”

ほんとに楽しいひとときだった。

3週間くらい前からメッセージを送っても返事がこなくなった。

えみさん最近どうなの?とはなしてた矢先のことだった。

気づくとぼーっとしてて、次々と思い出が蘇る。

私が住む家がない時えみさんの家にも転がり込んでたこともあった。
誕生日もなんども祝ってもらった。
まだえみさんの作った衣装もジャマイカのクローゼットにある。

えみさんはまだそばにいる。

ただ今は会えないだけだよ。

近くでたばこ吸って酒飲みながらガハガハ笑って見てるから。

えみさんが言ってくれた”誇りに思ってる” って言葉を胸に、
えみさんが私を誇りにもっと思えるように、
えみさんの分も精一杯生きるから。

ありがとう また会おう 

FREMAGA Vol21 “癒しの時間”号

FREMAGA 21号

ついについにもうすぐ出ます。

しかも4月20日に!

なんかジャマイカに住んでる私が言うのもなんですが

忙しい毎日の中 

ほっとする心も体ものびのびできる時間があるからこそ

休まって新しい朝を迎えたと同時にイキイキできたり

新しいことに気づいたりできると思うんです。

時間 時間 時間 って急がされておいたてられて終わっちゃう1日もあるけど

どうせなら切り替えて休む時間を自分にあげて、

みんな平等にある1日24時間というのをできるだけちょっとでもリラックスして

余裕の笑顔の多めの1日になりますように。

そんな、”癒しの時間号”にはたくさんの方々のリラックスについて紹介してもらいました。

4月20日は配布店に立ち寄る時間も考えてもらえるとうれしいな。

オカマイ